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阿波踊りの魅力と歴史|四国三大祭り・日本三大盆踊りを詩的に紐解く400年の伝統
阿波踊りは400年の歴史を持つ徳島の誇る伝統芸能。踊る阿呆に見る阿呆の精神と連の演舞、ぞめきの響きを川端康成風に描く。8月11-15日開催の夏の風物詩。
終了:2025年8月15日
公開:2025年5月15日
更新:2025年6月29日

阿波踊り (あわおどり / Awa Odori)

サブタイトル

阿呆になりて舞う夏魂

祭りの時期

毎年8月11日から15日までの5日間、徳島県徳島市で開催される。明治5年の改暦によりお盆の開催時期が移動し、現在では新暦の月遅れ盆に合わせて固定日程で行われる。四国の盛夏、立秋を過ぎた残暑厳しい時期に街全体が踊りの熱気に包まれる。

サマリー

400年以上の歴史を持つ日本三大盆踊り・四国三大祭りの一つで、毎年国内外から100万人を超える観光客が訪れる。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」の名句とよしこののリズムで知られ、「手をあげて、足を運べば阿波おどり」と言われるほど親しみやすく、連と呼ばれる踊り手集団が街を練り歩く徳島が世界に誇る伝統芸能である。

全面的紹介

起源

阿波踊りの起源には三つの説があり、天正14年(1586年)に徳島藩藩祖・蜂須賀家政が徳島城築城を記念して城下の人々に無礼講を許した際に踊られたものが始まりとする「築城起源説」が最も有力とされる。この他に鎌倉時代の念仏踊りから続く先祖供養の踊りを起源とする「盆踊り起源説」、室町時代に流行した風流踊りを起源とする説もある。

暦との関係

元来は旧暦の盂蘭盆に行われていたが、明治5年の改暦により新暦に移行し、現在は月遅れ盆の8月中旬に固定開催される。この時期は先祖を迎える盆の精神的な意味と、夏の暑さを吹き飛ばす庶民の活力が融合した絶妙なタイミングとなっている。

歴史的変遷

明治42年に「阿波踊」の名称が初めて新聞に登場し、昭和初期に日本画家・林鼓浪の提唱により「阿波踊り」として定着した。1950年代から観光資源として県外への宣伝活動が活発化し、1970年代には全国に伝播。戦前は西洋楽器も取り入れた自由な演奏形態だったが、戦後の観光化に伴い現在の編成が定着した。

地域との結びつき

徳島県内の小・中・高校では体育授業や体育祭で阿波踊りを採用する学校も多く、県民の代表的な踊りとして定着している。連には有名連、企業連、学生連などがあり、総参加者数は10万人にも及ぶ地域全体を巻き込んだ祭りとなっている。

伝統文化との関連

本来は先祖供養のための盆踊りとして、仏教の精霊迎えの儀式と深く結びついている。九州のハイヤ節が北前船により徳島に伝わり、地元の盆踊りと融合して現在の形になったとされ、海上交通による文化交流の産物でもある。

食べ飲み遊びの儀式

飲食

祭り期間中は徳島ラーメン(濃厚豚骨醤油スープに甘辛豚バラ肉と生卵)、阿波牛・阿波豚・阿波尾鶏の阿波畜産ブランドが味わえる。特に人気なのはすだちを使ったドリンクで、「徳島スダチボーイズ」などの屋台では酸味とさっぱり感で祭りの熱気を癒やす。和三盆かすてらやピザなど多彩な屋台グルメも楽しめる。

遊び

阿波踊り会館では年中無休で公演が行われ、観客が踊りを体験できる「体験コーナー」も設置される。街中では「にわか連」として観光客も飛び入り参加でき、「ヤットサーヤットサー」の掛け声で一体感を共有できる。

儀式

阿波踊りは先祖の霊を慰める盆踊りの性格を持ち、精霊を迎え送る仏教的な意味合いを含んでいる。踊り自体が祈りと感謝の表現であり、共同体の絆を深める神聖な行為として位置づけられている。

コンテンツ

立秋を過ぎても衰えぬ夏の陽射しが、徳島の街角に長い影を落とす頃。遠くから聞こえてくるの音が、街に宿るを呼び覚ます。

「カカンカンカ」と鋭く響く鉦の指揮に従い、三味線と笛が「ぞめき」の旋律を奏で始める。その瞬間、時は四百年前の築城祝いへと遡り、蜂須賀の殿様が許した無礼講の記憶が蘇る。

「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ」の声が街角に響くと、人々の足は自然と二拍子のリズムを刻み始める。男踊りは腰を低く落とし、女踊りは網笠を深く被って艶やかに舞う。

連ごとに異なる衣装調子が街を彩り、まさに「同じ阿呆なら踊らにゃ損々」の精神が街全体を包み込む。すだちの香りが漂う屋台の合間を縫って、踊り子たちの足音鈴の音が夜風に乗って広がっていく。

月が中天に昇る頃、阿波の街は完全に踊りの世界となる。見物人も踊り子も、皆が心の底から阿呆になり、先祖への感謝と生きる喜びを足音に込めて夜明けまで踊り続ける。

目を閉じれば、聞こえるだろうか?四百年の時を超えて響く、魂の鉦の音永遠の踊り歌が。