記事約5分
竿燈まつり (かんとうまつり / Kantō Matsuri)
終了:2025年8月6日
公開:2025年6月3日
更新:2025年6月29日

竿燈まつり (かんとうまつり / Kantō Matsuri)

サブタイトル

光の稲穂が舞う夏夜

祭りの時期

毎年8月3日から6日まで、曜日に関係なく4日間にわたって秋田県秋田市で開催される。2001年から現在の日程となり、以前は8月4日から7日であったが東北地方の他の祭りとの重複を避けるため前倒しされた。

サマリー

約270年の歴史を持つ国重要無形民俗文化財で、稲穂に見立てた竿燈を差し手が自在に操る伝統的な祭り。夏の夜空に約280本の竿燈が一斉に立ち上がる光景は天の川が降り注いだような美しさで、五穀豊穣と無病息災を祈願する秋田の魂が込められた夏の風物詩である。

全面的紹介

起源

竿燈まつりの起源は江戸時代中期頃の「七夕祭り」にさかのぼり、当時行われていた「ねぶり流し」という家内安全・無病息災を祈るお盆行事が発展したものとされる。子どもたちが川まで願い事を下げた笹を流しに町を歩いていたが、その後明かりを灯した提灯をいくつも付けた長い竿を十文字に構えた若者たちが太鼓を鳴らしながら町を練り歩く形へと発展した。

暦との関係

元来は7月7日の七夕祭りの前夜に行われていた「ねぶり流し」を起源とし、旧暦の夏の盛りに合わせて現在は8月上旬の固定日程で開催される。この時期は稲の成長期にあたり、豊作への願いが込められている。

歴史的変遷

外町(町人町)に住む職人や商人によって始められ、お盆に門前に立てる高灯籠を持ち歩けるようにしたのが始まりとされる。蝋燭や提灯が町民にも普及し、力よりも技を競うようになったことで現在の形態に発達した。寛政元年(1789年)には現在の竿燈に近い姿が、文化11年(1814年)には平手で竿燈を持ち上げる姿が、慶応3年(1867年)には頭に乗せて演技する姿が記録されている。

地域との結びつき

各町内の竿燈には、町内の象徴となる町紋が描かれた提灯が吊るされ、風雅や長寿、子宝、豊作などを意味する縁起物をモチーフにした洗練されたデザインが特徴的である。地域の子どもたちも年齢に応じた竿燈で技を練習し、代々受け継がれる地域に根ざした伝統行事となっている。

伝統文化との関連

竿の形が稲穂や俵に似ていることから豊作祈願の意味も込められ、神道の五穀豊穣の祈りと深く結びついている。八幡秋田神社での安全祈願から始まり、旭川での邪気払いで終わる一連の神事として完結する。

食べ飲み遊びの儀式

飲食

竿燈屋台村やご当地グルメフェスティバルでは、きりたんぽ鍋、比内地鶏ラーメン、男鹿しょっつる焼きそば、ババヘラアイスなど秋田の郷土料理や地酒を味わうことができる。祭りの熱気と共に秋田の味覚文化も楽しめる。

遊び

昼の竿燈妙技大会では差し手と囃子方の技術向上を目的とした真剣勝負が繰り広げられ、夜本番とは異なる緊張感ある競技を観覧できる。秋田駅前ではミニチュアの竿燈を体験できるコーナーも設置される。

儀式

祭り初日の朝に八幡秋田神社で各町内・企業の代表が集まり期間中の安全を祈願し、竿燈の先端に付ける御幣と御札をもらう儀式から始まり、祭り終了後の朝には刈穂橋で真夏の邪気や睡魔と共に旭川に流す儀式で締めくくられる。

コンテンツ

夕暮れが街に降りる頃、秋田の大通りに静寂が宿る。やがて太鼓の音が遠くから響き始め、竿燈の準備が整う合図となる。

約280本の竿燈が夜空に一斉に立ち上がると、まるで天の川が降り注いだような光景が現れる。稲穂を模した竹竿に米俵を表現した提灯が揺らめく様は、古来より続く豊穣への祈りそのものである。

差し手たちは50kgもの重さがある大若を手のひら、額、肩、腰の一点で支え、絶妙なバランスで操る妙技を披露する。竿燈がしなり、提灯がゆらめくたびに、観衆から「ドッコイショー、ドッコイショー」の掛け声が響く。

風が竹を揺らし、蝋燭の炎が踊る。その瞬間、時は江戸の昔へと遡り、ねぶり流しの儀式で邪気を払った先人たちの想いが蘇る。提灯に描かれた町紋には風雅や長寿、子宝、豊作への願いが込められ、それぞれの町内の誇り歴史が物語られている。

夜が更けるにつれ、竿燈の光は街角の記憶となって人々の心に刻まれる。祭りが終わっても、秋田の人々の胸には稲穂の揺らめきが残り続ける。

目を閉じれば、聞こえるだろうか?風に運ばれる太鼓の音と、光の稲穂が奏でる豊穣への讃美歌が。